白鳳会

名称 白鳳会 はくほうかい
設立 大正13年6月27日
代表者 秋山泉 
会員数 男:59名 女:11名 計:70名
活動内容

南アルプス・八ヶ岳周辺を中心に年間を通して幅広い活動を行っています。 

集会日時 月例会 毎月第4火曜日PM7:30~ 韮崎事務所にて 
会の紹介

白鳳会は白根三山の白と白鳳の鳳をとって命名されました。命名者は当時の甲斐山岳会幹事で、韮崎市穂坂町出身の平賀文夫氏であります。鳳凰山から白根山域にわたって活躍するという意味をもって生まれました。
 こうして誕生した白鳳会は、地域の山鳳凰山、白根三山、甘利山の研究開発、安全登山指導、遭難救助にと多方面にわたって取り組み、地域山岳会としての在り方を常に求め続け、その資質は確実に後輩に受け継がれて、今日の創立以来10年ごとにその全記録を記念誌「白鳳」にまとめ、次の新たなる出発への礎の誌としてきました。
 一地方山岳会がここまで累々と歴史を重ねてこられたのは、先輩たちの郷土の山に対する強い愛着とロマンであり、それに指針を示されたのが、小島烏水氏であります。昭和8年発刊の機関誌「白鳳」創刊号に日本山岳会の創立者で当時のかいちょうであった小島氏が序文を寄稿されました。「凡ゆる山岳会の仕事は創作にある。創作というと詩歌、小説でも作る事の様に解釈されるかも知れないが、そんなに狭い意味ではなく、山岳会としては、山岳に関する新しい行為を成就することが、即ち創作に当たるのである。」として、景勝地の宣伝、道路の開拓、観光客の誘致、ホテル小屋の建設などという積極的な仕事の外に

1 地方山岳に関する記録地図等、山岳資料を集成すること
2 山岳地に行われる伝説を正直に書き取ること
3 山岳の道路、橋梁、森林などの変遷を正確に記録すること
4 山々の動植物の目録記載を作り、気象、地形、地質の調査を行うこと
5 山水自然の保護に自ら任ずること
の5点を強調し、白鳳会に要請されました。

 戦前は、北小室小屋の建設、白鳳峠の開削、甘利山の開発、駅前に登山案内所開設などを行い、戦後は、白鳳荘の建設、深田祭の開催、茅が岳登山道整備などを行ってきました。
 白鳳会は各地にある山岳会とは大分異なり、これほど地域にた山岳会も珍しいことと思います。小島烏水氏の言う「創作」を求め、単に山に登るだけでなく広く地域を包括した中で、その心を探究し続けてきた先輩岳人達の足跡が、ごく自然体として地域社会と深く融和し、創作性を細胞の奥深くまで伝播し、"地域の文化団体"としての要素を色濃く持った山岳会に発展指せてきたのであります。

会員募集 随時 
連絡先 TEL  
E-Mail ホームページの「お問い合わせ」をご利用ください。
ホームページ http://hakuhohkai.sakura.ne.jp/

南嶺会

名称 南嶺会 なんれいかい
設立 昭和5年(1930)6月11日
代表者 小宮山稔
会員数 男:33名 女:5名 計:38名   会友23名 (H21.9現在)
活動内容 総会:4月
合宿:春、夏、冬
他オールラウンドな山行の実践:随時
集会日時 毎月第2木曜日午後7時~(甲府市内)
会の紹介
○命名の由来
大町桂月翁が、南アルプスを南高嶺と呼称されたのを略した。
○組織
設立当初は、甲府商業学校OBの会とされたが、昭和7年12月14日に一般山岳団体と位置づけ現在に至る。
○特徴
ハイキング、縦走、沢登り、スキー、ロッククライミング、アイスクライミング、冬山等多方面に渡り、海外登山も目指す。
戒律が厳しくなく、山菜や茸狩り、懇親会のみの参加者もある。
○人材
岳連との関わりは深く、会から歴代岳連会長に5人輩出されている。
大沢伊三郎(初代)、三井松男(第2代)、百瀬舜太郎(第3代)、高室陽二郎(第10代)、内藤順造(第11代)
会員は、20歳代から70歳以上と幅広い。
○会費
年会費5,000円
○その他
日山協山岳遭難共催加入、岳連レインジャー活動等参加
会員募集 常時受付
連絡先 TEL 055-254-2060
E-Mail
ホームページ http://homepage2.nifty.com/kaikoma/index.html

日本山岳会山梨支部

名称 日本山岳会山梨支部 にほんさんがくかいやまなししぶ
設立 昭和23年12月11日
代表者 古屋 学而
会員数 男:77名 女:8名 計:85名(H15.7末現在)
活動内容 支部山行(年1~2回)、及び本部行事への参加など
集会日時 毎月 支部委員会を行っております。
会の紹介
 山梨支部は、第4回国民体育大会の登山部門の山梨開催を受ける形で、昭和23年12月11日甲府商工会議所ホールにて、大沢伊三郎、望月親、今井友之助、三
井松男、百瀬俊太郎ら南嶺会のメンバーが中心となり設立された。当時、国体の山岳部門の運営は日本山岳会が行っており、好き嫌いにかかわらずJACでなければ運営できなかった。
 当日、本部からは第4代会長槙有恒、藤島敏男、関根吉郎、今村正二等の役員も参加し盛会のうちに支部の発足式が行われた。初代会長は大沢伊三郎氏、理事長は今井友之助氏であった。
 設立当初は、会員は個人以外にも高等学校の山岳部、地域の職域山岳会など幅広く、活動は富士山の冬山講習会、新制高校山岳部を対象とした登山講習会の開催、昭和24年の国体等活発な活動を行っていた模様である。
 現在は、各界に多士多彩な支部員が個人会員として80名余いるが、本来の山登りとしての活動は日帰り程度の山行であまり活発ではない。しかし、支部独自の活動の成果として、南アルプスのこれからのあり方を考える「南アルプスの将来像」と題したフォーラム報告集を、山梨県知事に提言するなど社会的な発言を強めている。
 会員の活動は、もっぱら個人によるところが多く、なかには毎年海外に行く会員や本部の活動に加わる会員もいる。
 支部の行事としては、毎年秋に奥秩父の名付け親である日本山岳会第3代会長木暮理太郎翁を偲ぶ木暮祭と2005年の100周年記念事業への取り組みがある。
会員募集 随時受付(会員2名の推薦による)
連絡先 TEL 055-275-3127 小宮山
E-Mail fwkk7643@mb.infoweb.ne.jp
ホームページ http://www.jac.or.jp/

雪稜クラブ

名称 雪稜クラブ せつりょうくらぶ
設立 昭和23年
代表者 岩間 修
会員数 男:00名 女:00名 計:22名
活動内容  
集会日時  第3水曜日午後7:00~ 甲府市で例会
会の紹介
戦後間もない昭和23年、雪稜クラブの前身となるヤングフレンズケルンソサエティー(YF)が、山とスキーの会として甲府で創設された。
昭和27年、YFは当時の山梨県山岳連盟会長 百瀬舜太郎氏の命名により雪稜クラブと改められ、より活発な活動を展開することとなった。
昭和20年代の会は、夏は山、冬はスキーという形態で運営されていたが、社会人山岳会活動が盛んになってきた昭和30年代に入ると登山をスポーツアルピニズムの実践の場として捉え、積雪期登山、岩登りなどを中心としたより厳しさを求める活動を行うようになってきた。
この頃の代表的な活動として、当時まだ未踏であった農鳥岳大唐松尾根の積雪期極地法登山があげられる。
以降、多くのメンバーが会の活動に参画し、活動内容は年代により差異はあるものの、中部山岳を中心として日本中の山々に足跡を残し、連綿とその歴史を繋いできている。
登山自体の低迷による会員の減少、女性会員が半数近くを占めた時期など、これまで様々な変遷をたどってきた。50年という歴史がある割には、現在動いている会員と先輩会員との接点が少なく、良いのか悪いのか、平成以降は20~30代を中心に、レベルアップを積極的に求める会員の入会もあって、再び自由活発にバリエーションに富んだ山行を行うようになってきた。
剣岳・穂高・北岳バットレス・谷川岳などでの岩登り、積雪期の槍・穂高・剣岳・北岳・後立山、八ヶ岳や東沢などでのアイスクライミング、東北・北アルプスでの山スキー、上越周辺の沢登り、5.12を目指してのフリークライミング、百名山達成を目前にした人もいれば、原始温泉ツアーを楽しむメンバーもいる。また、種々の機会を通じて、海外登山へと足を延ばす会員が出てくるなど、多彩な活動状況を呈している。
しかしながら、各自の自由な発想のもとに多彩な活動をしているという点で、それぞれがばらばらになって、まとまりのない会となってしまうきらいがある。このため、テイタラク山行などとして、一般ルートをごちそうを背負ってゆっくり登り、山でうまいものを食べて、大いに歌い会員相互の親睦を図ることも行っている。他の会でも行っている、月見山行の他、最近では雪洞を掘って宴会ということもして、ハードな登山とのメリハリを心がけている。
例会は、月1回行うが、この他に気象や高山植物、遭難対策についての勉強会を定期的に設けるなどして、山岳全体への理解を深めることを行っている。
これらが功を奏してか、平成9年5月の鹿島槍では会員の相互連携により、東尾根で遭難した他パーティー登山者の救助活動をするなど貴重な体験もしている。
平成10年の正月山行は、会の50周年を記念して、近年はほとんど人の入っていない農鳥岳大唐松尾根をトレースし、先輩達の苦労の跡をたどった。
このように様々な活動を展開してきてはいるが、近年、会員が固定化の傾向にあることから、今後につなげるため、新しいメンバーの入会を積極的に行い、山の素晴らしさを伝えていけるように導いていくことが必要な時期にきている。
会員募集  
連絡先 TEL  
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ホームページ http://www.geocities.jp/miiwama2000/

甲府昭和山岳会

名称 甲府昭和山岳会 こうふしょうわさんがくかい
設立 昭和24年2月9日
代表者 古屋 寿隆
会員数 男:00名 女:00名 計:27名
活動内容  
集会日時 毎月第三水曜日を例会「山水会」とし、甲府市中央公民館で開催している。
会の紹介
昭和13年創立の昭和山岳会(東京)に翌14年入会した故芦沢俊雄が、戦後甲府に帰郷し、昭和21年に昭和山岳会甲府支部を設立した。その後、昭和24年2月9日甲府昭和山岳会として独立を決定し、今日に至る。昭和山岳会(東京)とは、現在でも兄弟山岳会として交流を深めている。山梨県山岳連盟には、昭和23年12月の発足と同時に加盟し、「かいじ国体」では登攀会場作りをはじめ、全面的に協力することができた。発足当時から、近代アルピニズムを基調として「より高く」「より困難」を目指して、主なフィールドとして夏季・冬季とも八ヶ岳地獄谷、甲斐駒ヶ岳赤石沢・黄蓮谷、北岳バットレス、穂高岳・剣岳の岩場を中心に活動してきた。
 しかし、最近は、会員の高齢化、新入会員の減少とともに登山の内容も時代を反映して多様化し、南・北アルプスの縦走、岩壁登攀、沢登り、冬山、インドアクライミ  ング、フリークライミングとそれぞれを得意とする様々な会員が出てきており、オールラウンドな活動を通して登山を楽しんでいる。
会員募集  
連絡先 TEL  
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山梨大学山岳会

名称 山梨大学山岳会 やまなしだいがくさんがくかい
設立 昭和24年6月
代表者 川隅典雄
会員数 現役 男:16名 女:10名 計:26名
活動内容 ハイキング、縦走、冬山、クライミング等、山に関することすべて
集会日時 現役:毎週水曜日大学部室にてミーティングを開催
OB:毎月1回、理事会を開催
会の紹介
山梨大学山岳部は昭和24年大学創立とともに発足し、工学部・学芸学部、旧制山梨工業専門学校(元山梨高等工業学校)、山梨師範学校、青年師範などの山岳部を一本化し、その後のOBを加えた"会"として出発しました。平成13年現在の会員はOB96名と学生会員15名です。
 年間行動概要は、学生会員の山岳部で行われる、歓迎登山、夏山合宿、縦走登山、冬山合宿等に参加しております。これまでの例をあげると昭和30年1月には、現役学生、OB20名が参加し28日間で厳冬期の南アルプス全山縦走があります。また、中央アルプスの全山縦走、北岳、赤岳の集中登山、穂高などがあります。個人での登山等は、アンデス・ワイナポトシ、カシミール・コラホイ、マッターホルン、モンブラン、カラコルム、ブータンなどがあります。
 また、韓国ソウル大学山岳部と北岳などの交流登山の後、昭和48年4月には12名の会員が友好登山隊として、雪岳山の横断、北漢山などで岩登りなどの交流を行いました。その後、ソウル成均館大学山岳部10名と冬の穂高へ合同登山を行っております。会報は不定期ですが発行され、連絡誌として"BERICHT"と称する冊子が年数回発行されております。
会員募集 来る者拒まず!あなたの入部を待っています。
連絡先 TEL 055-220-8180 (山梨大学教育人間科学部 川隅典雄)
E-Mail yuac@ccn.yamanashi.ac.jp
ホームページ

http://yuacblog.blog45.fc2.com/

からまつ山岳会

名称 からまつ山岳会  
設立 昭和25年3月
代表者 古屋 学而
会員数 男:00名 女:00名 計:40名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
 今日のからまつ山岳会は、創立当初からみると数回にわたる変革がありました。
 始めは、日川高校山岳OBが母体で「落葉松山岳会」が発足しました。設立メンバーは、旧制日川中学OBで母校の教師・山岳部の顧問であった古屋眞孝先生、飯島利彦先生、相良新二先生及び岩間昇氏(歯科医)の諸氏が後押しされて第一期生の掛本芳成(初代会長)、堀口章宣、橘田?光、丸山道彦、前田淳、第二期生の藤巻隆基、北村武彦、土屋仁の諸氏が名を連ねております。会報は、「ベルク・カメラード」、昭和24年発行第1号で日川高校山岳部報と協同発行されました。昭和27年に新しく山岳会の会報として「からまつ」第一号が発行され、以降10号まで続いております。当初、南アルプス、八ヶ岳,奥秩父、冬はスキーを中心とした同窓会的な集まりでした。この間、昭和28年7月~9月大弛小屋管理が前田氏を中心に始まります。
 次に昭和32年1月、永田勉会長で組織の強化が計られております。会員は、新しく推薦制度取り入れて広く募集し、東京支部を置くようになります。登山はより高度な技術を目指し、冬の北岳,八ヶ岳に登り、岩登りや雪上の訓練を重ねます。また、映画と講演会の催し、月報"からまつ"の発行、大弛小屋管理も軌道に乗り、幅広い活動が行われます。 昭和34年には、北村武彦会長が再選されましたが、会の運営に問題点が生じます。まず、特別会計による山岳図書購入の件、岳連理事人選に関する会の対応、大弛小屋焼失誤認事件等に端を発して意見が対立します。同年、11月に4人会(飯島、古屋、岩間、相良)の調停が始まり、昭和36年4月より藤巻派16名、東京支部7名、北村派5名の3分割となります。
 からまつ山岳会はこれより藤巻隆基、掛本芳成会長、古屋学而会長と続き今日に至ります。主な登山は、塩見岳北面の岩稜とルンゼを二冬期、北岳バットレスは三度の合宿を経て38年1月第一、第二、第三、第四の各屋根、中央稜を登ります。また、訪華友好登山隊として(40年1月~2月)台湾の北部山脈と玉山登山を行っています。
 昭和40年以降は、会員数も増え、毎年夏山の後、"ジャンボリー(からまつ祭)"では、自前の果物等を持ち寄り家族ぐるみで近くの山や川辺で親睦を深めています。昭和60年頃から世代が変わり現役は少なくなりましたが、北アルプス等の屋根歩きを続けています。 
会員募集  
連絡先 TEL  
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御坂山岳会

名称 御坂山岳会 みさかさんがくかい
設立 昭和25年4月29日
代表者 羽田政人
会員数 男:00名 女:00名 計:48名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
当山岳会の発足は、昭和25年4月29日の天皇誕生日に、初代会長の伊藤堅吉・第3代会長の野口明・安藤元雄・馬場金五郎の4氏による、御坂山岳会創立第1回山行が御坂山塊の十二ケ岳、桑留尾のササッパ沢遡行登山によりスタ─トし、この年度において25回の山行を行い、翌26年度において36回、27年度に初総会を開いて役員・会則の制定を行い、公認山岳会の手続きを完了し、会員も百五十名を超え、会報「御坂層」を創刊した。(台字は故中村星湖氏)以後、昭和30年度までに月刊機関誌として毎月発刊され30号を超え、また山行も150回を数えるまでに活発になっていた。
 スタ─ト時の会則によると、本会の目的は「大自然を愛する者によって組織し山岳を各面から観察研究して文化向上に資するを目的とする。」ことであった。その後、山登りがスポ─ツ登山として位置づけられるようになり、「大自然を愛するものに依り構成し、山岳を各方面から観察して会員の知識を高め心身の鍛練と相互の親睦を計り、山岳会の進歩発展を目的とする。」こととなった。
 昭和29年11月に発生した富士山の学生遭難の遺体捜索に参加し、昭和35年11月に再度発生した雪崩遭難の救助活動にも参加、以後冬の富士山における山岳遭難事故に対して積極的な捜索・救助活動を行ってきており、警察官との遭難者救助訓練も実施してきている。
 山登りの特徴として、創成期は富士山周辺の御坂山塊を中心に十二ケ岳や三ッ峠の沢登りや岩壁の登攀が重点的に行われていた。
 その後、昭和31年夏頃から北アルプス方面の山行が行われ、35年頃から南アルプス方面への夏山合宿登山が行われるようになり、40年頃から冬山合宿として南アルプス北部(北岳周辺)更に中部(荒川岳・赤石岳)山域に重点がおかれるようになった。
そして、42年及び46年には夏の南アルプス全山縦走が行われた。
 この間、38年に当会では初めて山口国体に選手参加し、以後選手及び監督として岐阜・埼玉・福井・長崎・岩手・鹿児島・青森・奈良・鳥取・山梨・京都・北海道・福岡・石川・山形・等に参加してきている。
 海外登山としては、45年に台湾山岳会の訪日友好登山隊を富士山及び八ケ岳に案内したことを縁に、訪華友好登山として「雪山」「玉山」への遠征を始めとして、個人でのアフリカのキリマンジャロ、カナダのマッキンレ─、中国のボコダ、ムタ─グ・アタ、ペル─のチョピカルキ、マレ─シアのキナバル、フランスのモンブラン、メンヒ、モンゴルの県山岳連盟中国アムネマチン遠征・等があり、会員の年齢構成としては、20代の新入会員は殆ど見られず、30代以降の中高齢者の団体的組織になりつつある。
近年では、北アルプス方面や山梨百名山の踏破が行われている。
会員募集  
連絡先 TEL  
E-Mail masanori-nkys@mug.biglobe.ne.jp
ホームページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~nakayasu/misaka.html

増富山岳会

名称 増富山岳会 ますとみさんがくかい
設立 昭和28年4月1日
代表者 八巻久
会員数 男:00名 女:00名 計:24名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
 設立当初は、増富ラジウム狭観光協会内に所属していて、会員も協会会員全員が会員であったが、途中昭和40年に独立して増富山岳会となる。
 地元の山である金峰山、瑞牆山、小川山の登山道整備を夏山のシーズン前に毎年実施しています。
 秩父の山々を開発された木暮理太郎氏の木暮祭が毎年金平で10月第1日曜に行われていますが、会員が参加協力しています。
 会の活動は、会員の全部が観光事業に従事しているため、春と秋の2回の山行を基本としています。
会員募集  
連絡先 TEL  
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笛吹山岳会

名称 笛吹山岳会 ふえふきさんがくかい
設立 昭和32年2月2日
代表者 岡利彦
会員数 男:00名 女:00名 計:22名
活動内容 簡単なハイキング程度の山から、やさしい冬山や岩登りまでオールラウンドにこなしている山岳会
集会日時  
会の紹介
笛吹山岳会は、奥秩父の自然を保護し、山を愛する者が集まって結成された地域山岳会です。主な活動の中心は牧丘町と三富村の山域を中心とした奥秩父西部区域です。結成当時には町の観光担当の要望もあり、当会が中心となって「大烏新道」のルート開設をしましたが、当時は杣口集落より林用軌道(トロッコ)であり琴川より直接登るコースでした。町が管理を委託されていた「大弛小屋」の管理に交替で直接従事し、管理人が入ってからは小屋への荷揚げ薪切り等、年間を通じて町に協力してきました。又設立当時より地域研究として、奥秩父の沢、滝、尾根、登山道、動植物の生態等の実地調査を行い、実態を把握する事を目的として順次取り組んできています。若手を中心に、一般登山、富士山での冬山訓練、十二ケ岳での岩登り訓練、東沢での氷壁登攀訓練など基礎的な研修会や、春は南アルプス、夏は北アルプス、秋は奥秩父、冬は八ヶ岳と毎年定期的に合宿や縦走をしてきたのです。地域の警察署の依頼等により遭難救助活動も多く、主として国師岳、奥仙丈岳周辺で、過去杣口林道の未開設時にアプローチの長い入山で積雪に悩まされたのであります。主な事件は、昭和38年5月明治学院大生(女)1名の救助、40年5月国師ケ岳にて2名(男)の遺体収容、40年8月大弛小屋管理人の作業中の事故死による遺体収容、41年1月天狗尾根にて凍傷の高校生救助、同年1月、3日間にわたり都立富士森高校生パーティーの北奥仙丈岳周辺の捜索と救助は深い積雪下困難を極めました。41年4月朝日岳周辺にて駒沢大生(男)1名救助、41年5月大弛周辺にて慶応大生(男)の救助等、この間に西沢渓谷の釜の中よりの遺体収容、東沢にて冬期2件2名の救助活動も行なっています。その後、西沢渓谷の事故が増加して、三富村に救助隊分会が編成されたおかげで、当会の救助活動も特殊な技術を要する事故以外は出動も少なくなりました。
海外登山の取組みは少ないが、昭和55年2月3日から10日第1次中華民国玉山登山、
59年2月8日から15日第2次中華民国玉山登山、63年2月29日から3月5日中華民国大山登山があります。
会員募集  
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東斐山岳会

名称 東斐山岳会  
設立 昭和32年4月29日
代表者 井上力
会員数 男:00名 女:00名 計:79名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
当会は設立の翌33年6月29日山梨県山岳連盟総会に於て加盟が認められた。以後丹沢神ノ川流域全ての沢の開拓を開始し昭和38年7月に終了、会報「特集神ノ川」を発表した。33年には谷川岳の岩場に入り始め、34年には北穂高岳滝谷ドーム、屏風岩第一ルンゼ、35年の冬山合宿からは赤岳西壁や横岳西壁に、37年以後からは春夏数回北海道利尻岳の西壁を含むバリエーションルートに入る。昭和43年三好会員が日大隊に参加してグリーンランドを徒歩で横断する。46年(1971年)に東斐山岳会と秀峰登高会との合同でアンナプルナ山郡のガンガプルナ(7455M)に三好勝彦隊長(東斐山岳会4代々表・日大山岳部OB・当時27歳)広島三郎(当時秀峰登高会代表・28歳)で遠征し、許可申請等は東京都山岳連盟を通じて行ない壮行会は甘利仁朗氏らによって立川市で行なわれた。北アルプス最後のバリエーションを求めて霞沢岳に46年春から47年春まで4回にわたって全部で18ルートをトレースし、46年の暮れから正月にかけて豪雪の中霞沢岳南尾根を六百山まで東斐山岳会パーティが初登を記録した。霞沢岳の18ルートは雑誌『山と渓谷』410号(昭和47年・11月号)に10ページにわたって掲載された。50年から51年の年末年始にかけて北鎌尾根より困難な硫黄尾根からの槍ヶ岳~穂高岳縦走、同じく54年から55年にかけて殆どのパーティが停滞する中豪雪の白馬の主稜から後立山縦走。昭和56年7月に★甲斐駒ヶ岳を頂上まで日帰りクライミング(初)、竹宇駒ヶ岳神社発午前2時30分~黒戸尾根8合鳥居着5時40分~下降~ダイヤモンドAフランケ登攀開始7時~同Bフランケ~奥壁左ルンゼ~甲斐駒ヶ岳頂上16時40分~黒戸尾根~駒ヶ岳神社21時10分着、クライミングの合計が42ピッチでたんに頂上を往復するだけでも日帰りではきつい程の標高差2200Mもある。61年10月に行なわれた山梨国体では成年男子監督と選手3人の内1人を出し完全優勝を果たした。国内の登攀では谷川岳の衝立岩、穂高岳、剱岳の壁はもちろん黒部のオオタテガビンや丸山の東壁、奥鐘山の西壁等、また冬山で主なものでは剱岳、前穂高東壁、屏風岩、北岳のバットレス等に足跡を残した。 ★霞沢岳...南尾根(冬期初登)‥1971~1972年、 ★仙丈岳...そうめん流し(冬期初登)‥1981年、 ★穂高岳...屏風岩の東壁ルンゼ(冬期第4登)‥1982年1月、 ★千波の滝(冬期第2登)‥1984年2月3日、 ★海外登山... ★ナンガパルバット(8125M)‥1970年、 ★ガンガプルナ(7455M)‥1971年、 ★イヤプーン(6362M)‥1972年、 ★カンチェンジュンガ(8598M)‥1974年、 ★マッキンリー(6194M)‥1976年、 ★K2(8611M)‥1977年、 ★ガウリシャンカール南西壁(7134M)‥1983年、 ★クラウン(7295M)‥1985年、 ★アムネマチン(6282M)‥1990年、 ★タークニャ(5025M)‥1993年、 ★ディラン(7257M)‥1996年、 ★スキルブルム(7360M)‥1997年
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樅の木山岳会

名称 樅の木山岳会 もみのきさんがくかい
設立 昭和32年7月2l日
代表者 三枝 昌彦
会員数 男:00名 女:00名 計:現役27名 OB25名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
私たち樅の木山岳会は、昭和20年後半から都留市の山仲間が集まって都留山友会と言う同好会が有り、甲府の丸徳組の社長で郡内出身の、秋山英二氏が加わり、樅の木山岳会として昭和32年に設立された。秋山氏は日大山岳部の出身で先鋭的な登山技術を取り入れた登山を、私たちに指導し、厳しい山行きを行っていた。
 設立当初から冬山合宿は富士山と夏山合宿は南アルプスに、秋山氏のリ―ドで順調に登山技術を習得していった。昭和38年富士山の冬山合宿で滑落事故を起こし責任問題を考えて、会長制度であった山岳会を、同人組織として、代表制度とする。
 初代 代表の矢部啓三氏宅に事務所を借りて、定例会を毎月10日と23日に行い、山行を重ねていた。2代 代表駒谷豊氏 3代 代表天野永吉氏の代表の時に矢部宅の工場を改造し1部屋を会の事務所として借りる事になる。
 この時より会の図書、毎週の勉強会等活発な登山活動が始まる。富士山の事故以来創立時の盛況が無くなっていたが若い会員も増え、再び山行の回数も増え、会員の登山への取組も、登るだけでは無く登山に必要な知識、技術の勉強を真剣に考え、何時でも使える事務所が有ることにより、週に2度の勉強会を開催し、しばらく途切れていた山岳会の会報、タンネも暫くぶりに発行し、山岳会の歴史を残そうという動きが活発になる。
 この頃郡内の山岳会の会員がが集まって登山技術の研究と、普及、技術の習得術研究会であった。アラスカのマッキンレ―登山を目指して先鋭的な登山を積み重ね、遠征計画を具体化出来たのもやはり、矢部さん宅の山岳会事務所が有ったからである。しかし、この計画は登山申請に規定が有り、隊員5人以上と医師1人が含まれなければ許可に成らず、遠征の実行には至らなかった。いずれにしても、此の事務所が山岳会に大きな発展と会員相互の親睦を図るのに多大な貢献が有った。
 しかし、創立会員は年齢的に子育てと地域の役割を担う世代となり会員も世代交代の時期に来ていた。代表も4代・奥秋孝氏 5代・重森高貴氏と代わり、 5O年2月縦の木山岳会設立者で有る秋山英二氏が亡くなり、設立当時から山行きを共にしてきた仲間たちは、秋山さんの意志をついで、樅の木山岳会を盛り上げて行こうと誓い、三ツ峠枯れ葉沢の上部にレリ―フを設置する。
 会員も若返り女性会員が大半をしめる会員数は此の時期が最も多く45人以上の会員を数えた、その反面在籍期間の短い会員が多く、月例山行に参加できない会員は現役会員としない等、会員制度の変更を行った。
 50年 代表も6代目・三枝昌彦氏となる、登山界も海外登山の盛んな時期へと代わり、山岳会も海外登山を考えての山行形態となる。樅の木山岳会も海外登山の夢を語るメンバ―も居たが、郡内山岳技術研究会のマッキンレ―登山が出来なかった事で活動が休止状態になり、先鋭的な登山から暫くは遠ざかる。それに変わって山岳会のモット―である、山へ行きたい気持ちがあり、努力を惜しまぬ人ならば、誰でもどこへでも、倶楽部の計画した山行ならば連れて行く、この気持ちで会が運営され、新人会員は入会時から南アルプスの北岳や、冬の八ヶ岳氷瀑訓練等、一気に先輩達が5年も6年もかかってやっと行くことが出来た様な山行きが出来、幸せな時期の会員であった。
樅の木山岳会の海外登山及び個人の海外登山 主な山行
51年 マッキンレ― 三枝・井口井上・萬沢
54年 台湾・玉山 会山行 5人参加
57年 カナディアンロッキー 三枝・井口・井上
南米・アコンカグア 萩野
62年 ヨーロッパアルプス 会山行 モンブラン・マッターホルン 12人参加
H5年 中国・アムネマチン 岳連遠征 三枝・井口・井上・片井
H7年 ディラン 偵察 井口・光本
H8年 ディラン遠征 井口・臼井・中村
H9年 カナディアンロッキー 会山行
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ホームページ http://mominoki.climb-world.com

山梨県高等学校体育連盟登山専門部

名称 山梨県高等学校体育連盟登山専門部  
設立 昭和33年4月
代表者 小林稔
会員数 男:00名 女:00名 計:
活動内容  
集会日時  
会の紹介
高校生に夢と感動を ──高体連登山専門部の歩みと現状──
 昭和32年4月高体連登山専門部が発足し、この年の6月には八ケ岳において山梨県高校総合体育大会登山大会が開催されました。この時の加盟校数は定かではありませんが、翌33年の大会には16校が参加しています。当時の県内高校数から考えると8~9割の高校に山岳部があったものと推測できます。以後41年間、高校登山の普及と安全登山の推進、そして苦しさ厳しさの中に感動と希望を生む登山活動を目指して活動を推し進めてきました。前述のように高体連登山部の目標は「普及」「安全登山」といった教育活動の一環としてのものであり、この点が山梨岳連加盟の各山岳会と大きく違うところです。発足当時は各学校毎に山梨岳連に加盟していましたが、組織的に山梨岳連から指導を受けるべく昭和39年に一括加盟することになりました。発足後の20年間は組織は順調に発展し、加盟高校数、山岳部員数も増加し、昭和40年代にピークを迎えることになりました。昭和50年代以後は高揚期と停滞期を繰り返しながら現在に至っています。この間、関東高校登山大会を6回、全国高校登山大会を2回主管しました。また、顧問の力量向上を目指して、昭和54年にインドヒマラヤ「コラホイ峰」、平成10年にモンゴルアルタイ山脈「ハルヒラー山」に遠征し登頂に成功しました。
<活動>
 高体連は各高校山岳部の連合体です。したがって登山活動は各高校が独自に行なっています。と同時に、前述の目的達成と高校生の交流を図る目的で高体連として以下の行事を実施しています。            
[各種大会][研修会]県総体登山大会
クライミング研修会    12月中旬
1,2年生大会 9月上旬 1泊2日
天気図、読図研修会    2月中旬
新人大会    10月下旬 1泊2日
顧問研修会(沢登り)   8月上旬
顧問研修会(冬山)    2月上旬
<今後の課題>
 高校山岳部の将来について一抹の不安があります。それは、加盟校の減少です。昭和45年には男子20校、女子12校が加盟していました。この年をピークに年を追う毎に減少し、平成10年には男子15校、女子4校となっています。山岳部員の減少も深刻です。各校の山 岳部顧問は部員の確保のために必死に努力している訳ですが、成果は悲惨なものです。1名でも確保できれば大成功?2桁上の部員がいる山岳部など貴重な存在です。これは全国的な傾向であり、原因については様々議論があるわけですが、ではどうすればよいのか?適当な特効薬は見つかりませんが、明るい話題もあります。山梨高校と甲府城西高校に新しく山岳部が生まれたこと、そしていつも20名以上の部員を抱え生き盛んに活動している学校があることです。これらの学校の顧問、生徒は生き生きと登山を楽しんでいます。ここに未来への明るい希望を見いだすことができます。若者には未知なるものへの好奇心、冒険心、そして感動することへの渇望があるはずです。これに応えるには「山」は最高のフィールドです。「高校生に夢と感動を」を胸に努力を続けるならば、未来は開けるものと確信します。
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鶴城山岳会

名称 鶴城山岳会  
設立 昭和33年10月25日
代表者 望月勝
会員数 男:00名 女:00名 計:約50名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
鶴城山岳会は、山梨県立甲府第一高等学校山岳部OB会として、出身者のより充実した山行と親睦を計ると共に一高山岳部の指導を目的として、飯野 亨等を中心に結成されました。この設立会員たちは、昭和27年の吉原高校北岳遭難の際その救助活動で中心的な役割を果たしたこともあり、以後、山梨県としての遭難救助対策が整うまでの間、何件かの遭難に関わっていくことになります。
設立より、独自の活動と同時に一高山岳部とも深い繋がりを持ち、積雪期の甲斐駒、仙丈、塩見等で、現役高校生を育ててきましたが、1981年の逗子開成高校の八方尾根における遭難事故の頃より、文部省の方針がより厳しい方向に変わり、県教育委員会もそれに従ってOBの積極的な介入を排除するようになりました。
以来、当会としても監督制は採らず高校生の個人山行の延長上での付き合いという形での関係が続いていますが、普通高校という性格上、地元に残ったり大学卒業後帰って来るメンバーも限られ、趣味の多様化もあって新入会員の受入れも途切れがちになっているのが現状です。
そんなこともあって会則を一部変更して、一高山岳部出身者という枠をはずし、一高卒業生で紹介者があれば受け入れるようになりました。現在では、先鋭的な山岳会というより、地元における包括的な受け皿としての役割が比重を占めつつあります。
会の活動としては、カラコルム遠征以降合宿形態をとることは少なくなり、個人山行が中心になっています。隔年発行している会報の最新号を見ても、会の性格そのままに、低山逍遥、チベット、冬の穂高、モンゴルさらにはレインジャー活動、ルウェンゾリ山と多岐多様にわたっています。今後しばらくは、このような状態で推移するものと思われますが、何年か後には、会として本格的な海外登山を志していきたいと考えています。 本年(1998年)は、当会設立40周年にあたりますので、記念誌の発刊を目指したのですが年表を完成させるに止まってしまいました。これも今後の大きな課題として取り組んでいこうと考えています。
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ホームページ http://www1.odn.ne.jp/~aab76140/

高根山岳会

名称 高根山岳会 たかねさんがくかい
設立 昭和34年12月
代表者 大塚 寿
会員数 男:21名 女:14名 計:35名
活動内容 簡単なハイキング程度の山から、やさしい冬山や岩登りまでオールラウンドにこなしている山岳会
集会日時  
会の紹介
昭和34年12月町内の登山愛好者が集い、発会式を行い、昭和35年より高根山岳会の運営が始まりました。当初、山歩きを主体に発足したものが、八ヶ岳山麓と云う地域にあるために地方行政、警察活動に協力を依頼される事になります。戦後15年、当時は3人よれば山岳会と云うほど若者による登山ブームが始まった時代です。
 登山道が荒廃している。赤岳を中心に遭難事故が相次ぐ。会が発足までは清里地区の消防団が行っていたものが、会に依頼されるようになりました。登山道の改修、救助活動等、本来の主旨から離れていきました。
 地獄谷で事故が多いため、ベースになる小屋をと云う事で、出合小屋の建設をしました(現在と道路事情が違う)。救助活動も多い年は年間6回、1日に2件もの時も、甲斐駒へも二重遭難を含め、数回出動しています。
 高根山岳会発足から現在まで、約100回もの救助活動をして参りました。そのためか会の運営もおろそかになりがち、主旨からはずれてきたと云う事で、会員数も減少していきました。それと共に、40年代半ばまでの第一次登山ブームも下火になってきたことは事実だと思います。それから約20年間低迷期のなかでも、気心のあった仲間で山を歩き、事業を実施してきました。
 個人で山歩きをしている町民がいるので会員募集をしても応募してこない、若者に話しを聞くと組織に加入してしばられるより、自分の都合のよい時に自由に車でいけるところまで行って登るからとの返事。もの事に対する考え方と時代の違いだと云ってしまえばそれまでですが、組織というものの大切さを自覚してもらいたいものです。
 中高年者登山がブームになり始めた頃に思いついたのが女性を入会させて女性会員を複数にしてそれをオトリ(失礼な云い方かもしれないが)にしたらと云う事でした。しかし、その事がブームにのったのか、募集しなくても、口コミで入会希望者が増える結果を生み、現在の会員数(中高年者が多いけれども)になりました。「会員の資格は高根町内在住者又は勤務者にかぎる、会則第5章、第16条」
 月例会、山行、事業等に参加者も増え、すべてが明るく賑やかで、低迷期の頃が思い出されるこの頃です。
 今年になって、正月合宿、赤岳、横岳、硫黄岳、3月初北入、縞枯山、茶臼山、3月末小楢山、6月金峰山、7月富士山、登山道整備、8月甲斐駒ヶ岳等多数の会員参加の基に実施しています。
 又、平成8年に町民を対象にした町民登山を始めたところ、多数の参加者を得て、今年9月には第3回目を行います。来年度は、会発足40周年をむかえるに当たり、機関誌「出合」第12号の編集が始まっています。
 行政への協力がかかせない運営の中で、地域山岳会としての使命と、会の発展を願っています。
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嶺朋クラブ

名称 嶺朋クラブ れいほうくらぶ
設立 昭和36年4月1日
代表者 高崎 諭   甲府市住吉3-25-20(代表者宅)
会員数 計:35名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
 嶺朋クラブは、昭和36年に創立。平成8年には35周年を記念して熱帯ボルネオ島のキナバル山に、翌年韓国の雪岳山(ソラク山)、40周年には、台湾の最高峰玉山への登頂と、各海外登山を行った。
県内においては、平成8年から平成13年まで5年をかけて、「山梨県境一周」を達成した。名も知られていない藪山や平坦部もくまなく踏破したこの「山梨県境一周」は、わが会にとって40周年記念としての大きな事業の一つでもあった。同時に記念誌「嶺朋」を発行した。
 平成18年には45周年を迎え、世界自然遺産に登録された知床半島の羅臼岳、斜里岳、摩周岳への記念登山や北岳集中登山を実施した。
 また、毎年北岳山頂にある北岳標柱の手入れや、豪快な北岳バットレスが正面から一望できるボーコン沢の頭から広河原に下山する「嶺朋ル-ト」の整備なども行っている。
 ほぼ毎月発行している会報は150号を数え、甲府市南部の公民館で毎月例会を行い、例会山行は月2回程度、縦走、沢登り、クライミングと四季を通じオールラウンドな山行を行っている。
 平成23年には創立50周年を迎えることから記念登山として平成21年6月にインドネシアバリ島のアグン山、バトウ―ル山に登り、平成22年4月にベトナムのファンシーパン登頂を目指すこととしている。 
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連絡先 TEL  055-232-5364 
E-Mail  sato2001taka@yahoo.co.jp
ホームページ http://www.ac.auone-net.jp/~reiho/

山梨大学医学部山岳部

名称 山梨大学医学部山岳部  
設立 昭和52年
代表者
会員数 男:00名 女:00名

計:00名

活動内容  
集会日時  
会の紹介
休部中
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こまくさ山の会

名称 こまくさ山の会  
設立 昭和60年10月
代表者 的場健次
会員数 男:名 女:名 計:12名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
私たち、こまくさ山の会は、昭和60年の秋に発足しました。とは云っても、奥秩父の大弛み小屋で、酒を飲みながら、小屋のおやじこと佐藤さんの話に共鳴したと言うのか、酔ったせいか?分かりませんが、奥秩父の自然の話や登山ル-トの事、登山者のマナ-の事などetc・・・で、大変盛り上がり、そこへ泊に来ていた小宮山さんも含め、山の会を創ることになったのです。しかし、会員は3名、早速会員を募ることにしましたが、なかなか思い通りにメンバ-は集まらず、初めの2~3年はおやじさんの知人を会員として名簿上載せていたのですが、仕事が多忙などの理由ですぐにOBになってしまいました。昭和63年頃から男性も女性も次第に入会してきました。それと云うのも、おやじさん所の、可愛娘さん2名の入会したのが大きかったのです。そして、彼女たちの女友達、また、その友達と女性の多い会になって行きました。若い女の子が多い会と云のは魅力的で、男性は難なく会員となりました。平成2年には12名、平成4年には20名となり、年令差は18才~63才と幅広く、平均年齢も29才くらいの会となっていきました。
月の例会が楽しみでなりませんでした。登山計画を立てたり、各々から最近登った山の感想や報告、スライドの上映、写真の撮り方、ザイルの結び方等、話題は尽きづ時間も忘れるほどでした。時には討論もしました。難所を含んだアルプスを、短時間で数多く征服したい。チャレンジ派と「あまり危険なところはどうも・・・と云う、」低山で時間を掛けのんびり登る、組に分かれるのですが、最後には「高くても、低くても登らなくては始まらないよ。」の声でまとまるのでした。
そして、健脚もそうでない会員も計画した山を楽しく熟していきました。それと同時期にレインジャ-としての活動も増え。南ア・八ヶ岳・御坂山系等、数多く登ることにより、基本的なル-ルも覚えることが出来ました。
平成8年頃からは、レベルアップを目指しクライムボ-ドにチャレンジしたり、装備も充実させてきました。さあ、これからと云う時になり、一時的かもしれませんが結婚や出産による、脱会者がポッポッと出初めたのです。また、仕事も中堅の立場の者が多くなり、多忙となった為か月例会への出席が少なくなり初めました。我々の会も20才代の若い会員が減少し、活気が少し不足ぎみになってきた様です。
そこで、改めて新会員の募集をする共に、年をとってからも出来る登山を考え初めたところです。のんびり花や鳥を観賞しながらマイペ-スで登ると共に、スリルや遊び感覚も忘れることのない、こまくさで何時までもありたいと考えています。まだまだ歩き初めたばかりの山の会ですから、ここで息切れを起こしたのでは、山には登れない、ファイトを持ってこれからも取り組んで行きたいと思っています。
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山猫

設立 1985年
代表者 松田公恵
会員数 男:8名 女:6名 計:14名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
  • 会員年齢 :20代~50代
  • 会の改名:創立当時~1996年までO.D.C山猫(日本勤労者山岳連盟加盟)
    1997年~現在山猫(山梨県山岳連盟加盟)
  • 山行内容(形態) :ハイキング、縦走、沢登り、岩登り、雪山ハイキング、その
    他その人に見合った登山。
  • 例会山行 :月1回
  • ミーティング :1回(原則として第2火曜日の翌日の水曜日)
  • 会の目標 :技術面において、各人の差が激しいので、それを縮めて行きたい。
    安全は何事よりも優先する。それを念頭に置き切磋琢磨して行きたい。
会員募集  
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山梨学院大学山岳部

設立 平成7年5月
代表者
会員数 男:名 女:名 計:名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
休部中
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山梨アルパインクラブ

設立 平成8年12月1日
代表者 古屋 仁志
会員数 20名

 

活動内容  
集会日時 毎月1回甲府市内にて開催
会の紹介
 アルパインクライミング(山岳地帯でのクライミング)は、今時流行らないような危険で疲れる登山ですが、何ピッチも続く岩を登ってピークを目指す充実感は、他では得がたいものだと思います。山梨アルパインクラブは、アルパインクライミングを中心に活動する山岳会です。現在会員数はおよそ20名と小規模な団体で、高いレベルの内容ではありませんが、ほとんど毎週のように複数パーティが入山して、活発に活動しています。
 活動内容として、合宿形式での登山はほとんど行っておらず、各人の意思と志向による個人山行が主体です。アルパインクライミングの他、フリークライミングや夏の沢登り、冬のアイスクライミングが多く、通常は週末の日帰りか1泊2日での登山ですが、春の連休と年末年始には比較的長期の日程で山へ行きます。最近の活動についてはクラブのホームページをご参照ください。
 当クラブのモットーは、「主体性を持って安全で楽しい登山を行うこと」です。そのためには、必要な技術の習得はもちろん、登山計画書の提出や下山連絡、そして山岳保険への全員加入など、会員に幾つかの義務が課せられています。またクラブ内でも各種講習、セルフレスキューのトレーニング等を行い、その上で経験や技術を蓄積して国内の様々な課題や海外での登山へと繋がる活動をしていきたいと考えています。
会員募集 おおむね35歳までで積極的に登山したい方 初心者歓迎します
連絡先 TEL  
E-Mail ascent@mb.infoweb.ne.jp
ホームページ http://homepage1.nifty.com/yac_info/

山梨メープルクラブ

設立  
代表者 雨宮洋一 
会員数 男:00名 女:00名 計:名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
 
会員募集  
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明野山岳会

設立  平成15年12月4日
代表者  会長 水上 茂
会員数 男:14名 女:18名 計:32名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
山梨県山岳連盟に25番目の新星を登録戴きました。
東西6.5Km、南北7.4km、総面積28.10平方キロメートル、県内でも小さな部類に入り、人口5000人弱・茅ケ岳南西面の山麓に広がる太陽と緑とレタス(林檎)のくに明野村です。25番目の星・・明野村公認のその名もズバリ「明野山岳会」です。
明野村教育委員会主催の生涯学習講座が基点で、「自然の草木が好き」「山歩きが好き」「人が好き」の仲間が、趣味や楽しみで個人が、小グル-プが山の会が永年活動を続ける中で、チョット X チヨット 遠回り・寄り道をしましたが、県岳連に加入し、安全登山実践に向けて登山技術の向上や社会生活にも通じる登山道徳の研鑚、地域の自然環境保護や育成にも携わり{より楽しく}{よりよい環境}を{子供達にバトンタッチ}出来る様にとの思いも込め、H15-12-4発足。周辺市町村の仲間も増えて発会式時の21名から現在41名となり、登った山は数々あれどただ登っただけ・・高い山には登りたいけれど岩場は怖い・・程ほどのレベルで毎月登りたい・・岩登りもしてみたい・・小屋泊り登山も続けたい・・沢登りもしてみたい・・あまり長いこと歩きたくない・・縦走もしたい・・等など希望願望山積で、この山登るのが困難事、思考体力経験が見事なほどバラェティ-に富み、月例会の組立ても{スクラップ&ビルド}の世界ですが、「ひとに迷惑掛けず、明るく、楽しく、何時までも」を、モット-に活動を続けて行きたいと、歩きはじめました。
未知の魅力を秘めて、日々成長を目論む私どもですが、自分達の趣味を生かして貢献できる様にとオンリ-ワンを目指していきたいと思っています。
先輩山岳会の皆様、関連部門の皆様、心の通う温かい、ご指導ご鞭撻をお願いします。
会員募集  
連絡先  
ホームページ http://www.ne.jp/asahi/mhp/kaya/sangaku/index.htm

山梨クライマーズクラブ

設立 平成21年5月 
代表者 山森政之 
会員数 男:名 女:名 計:名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
 
会員募集  
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